ちょうど10年前、
オーストリア人の編集者の方々や、
イタリア、アメリカ、ドイツ、韓国...etc
各国の編集者が集まるイベントに参加し、私の当時の作品を見ていただいたときのことを思い出しています。
今のpaintingスタイルとは違いますが、
当時からアーティストとして、
海外で活躍したいという夢・目標は、
10代の頃に行ったLA旅行が衝撃過ぎたことから始まっていましたので、もしかしたら…なんて期待を込めながらドキドキしを抑えてイベントに参加しました。
当時は、個人的にもイラストを描いたりする機会もありましたので、自信がナイわけでもなかったですし、“次は海外かぁ〜” なんて、もう気持ちは海外生活の妄想が広がり、どこかしら、声をかけてくれるんじゃないか?なんて考えていました。そもそも、そのイベントは、極端な話、全世界から私のように夢を見た方々が集まるイベントでしたし、私が知っているだけでも、3000〜4000人以上のアーティストが参加するイベントでしたので、当時の画家でもなければアーティストでもない私が各国の編集者の目にとまることなんて普通に考えてありえるはずがナイことも、今ではよく理解できます。しかしながら、当時の私は、とにかく、今の生活を変えたかったですし、何でも良いから参加できることは参加していきたい気持ちも強く、個展的なことも何にも始まっていないのに知人から誘われて開催してまうような今現在とは違った、なんちゃってポジティブヤローでした。
結果は、案の定、どこの編集者からも声は一切掛からず、ちゃんと絵を見てくれる編集者も一人もいませんでした。さらに、『あなたの絵はヨーロッパでは通用しない』と言ってくれた編集者が一社あっただけ。そのアドバイスは、当時の私の中で衝撃的すぎる大きな言葉で、ヨーロッパでの活躍は難しいと諦めざるおえない時間になり、それ以降、ヨーロッパの選択肢、活動への憧れは完全に消えていきました。
今回はここまで。
次回、②で続きは書いていきます。 0t0m8
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